「泥臭く生きるのが性に合っていると思っている話」
今回は、泥臭く生きるのが性に合っていると思っている話です。
数年前から自覚していることとして、格好よくスマートに生きるよりも、泥臭く生きるのが性に合っているなということがあります。
理由は単純で、格好よくスマートにしようと思ってもできないからです、、!笑
傍から見たらあそこをああ工夫すれば一瞬でこなせるのにとか、あのポイントにさえ気を付ければもっと上手くいきそうなのにとか、どこか野暮ったい印象はやはり傍から見ると抱かれているのかもしれません。
なのでそれを後から伝えられて、ああそういうやり方があったんだね、教えてくれてありがとう、という風になります。
でもこの時点で損をしている人はいなくて、私がその人に少し野暮ったく映ったくらいのことですよね。
ただそれだけのことなのです。
何事も挑戦は失敗前提ゆえの身軽さかもしれません。
泥臭く生きるとはどういうことか、あまり明確な定義はないようですが、ニュアンスとしては次のようにとらえています。
自らの信念を信じて、今は報われなくても、こつこつ地道に努力を積み重ねて、苦労も進んでする生き方。
わかりやすくいうと、下積み時代が長い生き方という感じでしょうか。
でも下積み時代が長いからしんどいのかと聞かれるとそうではありません。
派手さはなくても、穏やかな幸せというものが、日常の中にいつも顔を覗かせて、友人のようで傍にいてくれるので、それで満足できるというか。
ちなみに先日記事にした友人は、実は学生時代に「将来この友人はどんな大物になるのだろう」とひそかに憧れていた人でもありました。
この日の帰り際、数年に一回会いたくなるのは、いまはどんな大物になっているか気になってるからなんだよね、と伝えると「それはあなたもですよ」という言葉が返ってきました。
いつもながらの冗談交じりのやり取りですが、これまでとはどこか違う、本音の部分が混じっていたようにこの時は受け取りました。
100%冗談とは言い切れない言葉が友人から聞けて正直嬉しかったですね。
この泥臭いこの生き方をしていていいなと思うのは、いつの間にか自身から人生に深みのようなものがにじみでてる?かもしれないと思えることですね。
友人と会ってみてよくそのように思えました。
以上、今回はそんなお話でした。
※いらすとやさんの画像を使用させていただきました。
最後までブログを読んで頂き、ありがとうございました。
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